十種の神宝 畑の神理

畑の理

蒔かぬ種は生えぬということで、種の理を説明しましたが更に進むと、種を蒔く場所のことを畑の理として説明いたします。

蒔かぬ種は生えぬということは真理ですが、蒔いた種は全部生えません。
種は良くても畑が悪いか、畑が良くても種が悪いと言う事があります。

人間では男が種で女が畑です。
夫婦になっても子供が産まれないと言うのは、どちらかが悪いか役に立たないということです。
植物の種でも形は種の形をしていても、中身がからのようなものがあります。そのような種を粃(しいな)と言います。このような種を立派な畑に蒔いても生えてきません。
また良い種であっても悪い畑では生えてきません。

良い畑とはどのような畑なのでしょう?
土の固い所へ種を蒔いても、土の中に入っていかないで風に飛ばされるか種が死んでしまうことになります。
固い土は砕いて柔らかくして、冷たい土は掘り起こして空気を入れたり有機質肥料を入れたりして、掘り起こした土と混ぜ合わせて土を温めます。この様にして作った土地を耕作地と言い、畑と言います。
この様な畑に良い種を蒔けば良く生えて良い実になり、世の為人の為になります。

固いことばっかり言ってる石頭の人がいたならば、どんなに良い話をしても、固い土の中に種が入っていかないように、石頭のような固い頭の人には話の種も入っていかず、知恵も知識も他人より遅れてしまいます。
石頭の人とは自分勝手、気まま、意地悪、強情、偏屈と言うような人です。

人間の根性はなかなか直りません。
意地悪や頑固者は直そうという気にならないし、直してやろうと思う人には逆らってくるので良い人は遠ざかってしまいます。
意地悪は自分の意地悪を知らない、ケチは自分がケチであることに気が付かない、怠けものは自分が怠けてると思っていない。
自分の悪い所を知ることが大事です。自分の悪い所が判ったら良くする為に努力する必要があります。

土地が悪ければ良くするために努力する、土地改良、土壌改良と言います。
軟らかい温かい土地になれば、種を蒔けば生えてくる、生えてくる者を育てる力のある畑地になります。この様な畑を生きている畑、あるいは生命力のある畑地と言います。

畑に種を蒔いたら生えてきた。それを育てて人の役に立つ物を作り上げると言う事は、人間でいえば女性と言う事になります。子種を宿した女性はやがて子を産んで、次に育てて人の役に立つ人間に造りあげる。

畑地 ➡ 種を蒔く ➡ 生える ➡ 育つ
女性 ➡ 種を宿す ➡ 生れる ➡ 育てる

植物も人間も同じ大自然の真理です。

畑地に蒔かれた植物の種は、生えて育って世の為人の為になる物にして世に送り出します。
人間は種を宿して、生まれて育てて世の為人の為になる者にして世に送り出しましたか?

人間は可愛がって大事に育てるのは良いけれど、世の為人の為ではなく、自分の為自分の家の為に育てている人が沢山います。

世の為人の為にならない物は、要らないので見捨てられる運命になります。
世の為人の為に役に立つ物を作り出せない畑地は、生命力の無い畑地と言い死地(しにち)或いは休養地と言って、人間でいえば病人、畑地でいえば病地であって生命力の無い土地です。

生命力のある肥料というのは、堆肥や腐葉土のように、動物質や植物質で作った肥料で有機質肥料と言います。
この肥料が大事な肥料で油かす、魚のカス、牛馬鶏の糞などを使うので、汚れるだけでなく人手間もかかります。
汚れず簡単に使える無機質肥料に片寄ってしまうので畑地も作物も病にかかって役に立たないことになってしまいます。

有機肥料を作る努力をしない怠け心が原因です。

人間で言うと女性だから何時でも子供を産めると言うのは間違いです。
女性と言う性器があっても、13歳になって月経と言う生理が始まって女性になっても、それはまだ土地であって、畑地ではありません。(十三参りに行きましょう)
土地から畑地になるには土作りと言う事が必要であるごとく、女性でも立派な女性になるには人造りと言う事が必要です。
生理が13歳で始まってもそれから7年間は女性として人の世を通れるようにと、礼儀作法を習い、料理を習い、裁縫を習い女性としての必要なことを習って20歳になります。畑地は二十歳(はたち)に通じます。
女性は20歳を過ぎてから結婚したほうが自然の理に叶っています。
畑地になるまで大切に扱いましょう。

注1【十三参り】女の子が13歳になって生理が始まって女性になったので、神様にお礼参りに行きお祓いと先々の祈願してもらうのが十三参りです。